「カギっ子」の幸せに善意は結集されて

『くでん学童保育所(公田福祉会館)建設の記録(昭和49年11月16日 くでん学童保育所運営委員長 記)』より

ゼロの中での計画とスタート

「くでん学童保育所」は、昭和 49 年 4 月、それまで使用していた本郷幼稚園前の旧卓球場を出た時点で、苦しい”間借り”運営を余儀なくされた。横浜市から交付された委託費を不正支出したために解任された運営委員兼指導員が、旧卓球場の個人賃借権をタテにとって、学童保育所の使用面積縮小を要求してきたため、運営委員会は「正常な保育は困難」と判断、他に適当な建物を探しも

とめたが、確保するに至らないままに不本意な民家の”間借り”運営に移行したのである。

 

学童保育は、横浜市の委託事業だが、市が支出するのは指導員 2 人の手当と、若干の運営費だけで、建物は地域にある公共建造物使用を原則にしている。適当な公共建造物がない場合は、地元まかせで、賃借した場合でも家賃等は一切支給しない。

「くでん学童保育所」は、桂台、本郷両小学校の児童を保育対象にしている特殊事情もあって、利用できる公共建造物がない。旧卓球場を出た以後も、賃借家屋を含めて適当な建物を探し求めたが容易に確保できなかった。このため運営委員会は、専用の建物を建設する計画を立てるに至った。

 

建設計画の遂行には、2つの大きな難問が存在した。その1つは、建設用地であり、もう1つは建設資金だった。本来、運営委員会は横浜市の委託施設としての委託費の交付を受けるために組織されたものだし、学童保育所自体、資産は皆無だったからで、建設計画は実に”ゼロ”からの中で策定され、スタートしたわけである。しかし、用地の資金に全く見通しをもたないやみ雲の計画だった、ということではない。

用地は 30 年間の無償貸与

建設計画の第 1 の関門の用地確保には、2つの大きな前提条件が存在した。その第1は、資金的に無償か、それに近い条件で貸与を受けなければならないことであった。そして第2は、保育対象が桂台、本郷両小学校の学区の低学年児童であるため、両学区の中間地点でなければならないという立地条件だった。

 

運営委員会は、その2つの重大な制約の中で、日本住宅公団公田町団地内の未利用地を、唯一最善の候補地として選定した。だたちにM委員長とT委員(いずれも民生・児童委員)が中心になって、同公団横浜営業所を通じて貸与方を要請したが、同公団関東支社が難色を示し、一時は暗礁に乗り上げた。

 

運営委員会はやむなくT委員の知己の衆議院委員の小泉純一郎氏(神奈川二区)に斡旋を依頼、同氏の好意ある計らいで関東支社との折衝を進めた。その結果、同支社管理部長M氏が、学童保育に対する理解を示し「規則上、民間の団体や組織には貸与できない

が、横浜市に対してならば貸与してもよい」との回答を寄せた。

 

運営委員会は、さっそく戸塚市役所市民課を通じて、横浜市当局に協力を要請した。快諾した横浜市は、市民局企画課と戸塚区役所市民課が連絡をとりながら、住宅公団が窓口に指定した横浜営業所と折衝を重ね、賃借の合意に達した。事務手続きを経て、最終的に住宅公団と横浜市の間の賃借契約が結ばれたのは、10 月末だが、対象面積は 396 平方メートルで、条件は 30 年間の無償貸与となっている。

 

施工業者は利益度外視の協力

用地確保の見通しがつくとともに、運営委員会は、T委員長を長とする建設委員会を設けた。建設計画の当初からM運営委員長とともに、中心的役割を果たしてきたT委員は、川崎市に本社をもつ建設会社の役員であり、建設関係の専門家であるとともに、親しい施工業者も多く、運営委員会全員の懇請を受けて、建設計画の実質的責任者となったのである。

 

建物の設計、建築をはじめ電気、水道の各工事の施工業者の選定と発注を一任されたT建設委員長は、多忙な職務のかたわら特に部下社員に依頼して設計図等の作成から施工業者との折衝、建築確認申請書の作成と提出に至るまで、敏速に進め処理した。

 

建物は、鉄骨造り簡易防火構造 21 坪(70.46 平方メートル)と決定、電灯は 40 ワット 2 灯の蛍光灯を8基、上水道は給水口3個と決定した。T建設委員長が、もっとも苦心したのは、施工業者の選定と折衝だった。明確な資金調達の見通しが立たない実情の中での建設計画だけに、工費を可能な限り低くおさえなければならない必要を痛感して、理解と協力を得られる業者の選定につとめ、選定した業者を説得したのである。

 

この結果、建築は鈴木工務所、電気工事は和田電業社(以上川崎市)水道工事は岡崎工務所(横浜市神奈川区)が利益を度外視して引受、鈴木工務所の説得を受けた組立ハウス・メーカー白金工業株式会社(東京都白金台町)も、建築資材一切をほとんど原価で提供することを約束した。

父母ら 170 万を立て替える

T委員長の奔走で、工事はすべて施工業社の奉仕的協力によって、破格の費用ですむことになった。また、内装については運営委員のO氏から、一部を寄付し他はすべて原価で奉仕したい、との申し出があり、建設委員会は感謝して受けることにした。

しかし、電話の架設費や備品費を含めると総額約 250 万円を要することが明らかになった。運営委員会は、その所要資金の調達と

取り組む段階になった。

 

第1の朗報は、横浜市から届いた。建物を地域の集会施設とすることによって、市から 50 万円の補助金が交付される、というのであった。このため運営委員会は、公田町団地福祉委員会と協議、学童保育の時間外は、子供会をはじめ各サークル、自治会のほか周辺居住者の集会、催し等にも開放することとし「公田福祉会館」として建設することに決定した。

 

運営委員長があと 200 万の資金調達方法を検討中に、保育児童の父母会代表委員から「市の補助金の分 50 万円を含めて 150 万円程度を、父母有志で一時立て替えたい」との申し出があった。委員会は、50 万円は市補助金が交付された次第償還し、残りは一人月額2千円の保育料の中から 2年間で償還する条件で、父母会の申し出を受けることにした。

 

残る 100 万円については、支出を極力圧縮することを前提に、寄付金とバザー等の収益でまかなう方針を打ち出した。寄付金は、第1段階として公田町団地を含む地域住民に呼びかける方針をとった。

 

着工計画が決定した9月下旬、父母会による立て替え金の払い込みが開始され、払い込み総額は、当初の目標を突破して 168 万円にのぼった。払い込まれた立て替え金は 30 万円(2 人)を最高に 20 万円、10 万円、5 万円、3 万円とさまざまだが、中には苦しい家計を切り詰めて払い込んだ母子家庭の母も何人かいる。また、虎の子の貯金を払い戻して、無利子の立て替え金に振り向けた人もある。この人達にとって、学童保育所は愛するわが子を”カギっ子”にしないために、是非とも必要な施設だったのである。

 

さらに、SさんとAさんは奉仕に近い安い手当てで児童の保育に当たっている「くでん学童保育所」の指導員である。児童達に強い愛情を持ち、保育らしい保育を念願する 2 人にとっても、学童保育所の専用建物の実現は、夢にもみる程切実な願いだったのであり、進んで立て替え金の払い込みに参加した。

温かい資金援助 40 万円

第 1 段階の寄付要請は、M運営委員長とT建設委員長の連名で要請状を発送、一部は両委員長が直接懇請する方法をとった。

 

対象としたのは、地域を選挙区にする国、県、市議会議員、地域とつながりの深い企業、医院など 19 人、23 事務所、4 医院だった。しかし、要請に対する反応は、きわめて低かった。「援助する」と答えて、寄付に応じてくれたのは、半数にも満たなかったのである。大半は無回答であり、回答の中には「援助できない」として「関係ない」と付記、記名していないものさえあった。要請状の説得力の乏しさが、その一因として考えられるとともに、学童保育に対する一般的理解が低い事実を痛感しないわけにはゆかない。

 

それでも、理解ある援助は、10 万円(1 件)5 万円(2 件)の大口を含めて 17 件にのぼった。

企業関係では神奈川中央交通株式会社 横浜銀行公田支店 株式会社・相高ストア 本郷商栄会の 4 件、国、県、市会議員の方々10 氏が 2 万円から 5 千円を寄せられた。さらに医院関係では野村医院長 和田医院長 田口医院長の三氏から援助をいただいた。

 

また、公田町団地関係では、自治会と福祉委員会が合同で 3 万円、子供会育成会が 2 万円を寄付、民生・児童委員勤続 10 年で神奈川県社会福祉協議会表彰を受けたM運営委員長が、その記念として 2 万円を寄付した。

 

 

こうして第 1 段階の寄付金は 40 万円に達した。しかし、目標額には程遠い。運営委員会は、できる限り避けたい意向だった地域の個人有志を対象とする第 2 段階の募金に踏み切った。公田町団地の居住者に対しては、自治会の協力で全戸に回覧で呼びかけ、団地外の地域有志については、個別に訪問して協力を要請したのである。

 

一方、12 月上旬には、公田町団地福祉委員会と共同してバザーを開く計画も立てた。団地内に居住する企業関係者の斡旋による出品や有志の不用品提出を求める一方、戸塚福祉事務所の斡旋で県と市と区の善意銀行の協力も求めることにしている。

善意銀行にはまた、学童保育所の備品の供与をお願いすることにしており、近く必要備品のリストを提出して協力を要請する。

青い屋根の保育所は建った

横浜市の援助、保育児童の父母や指導員の熱意、心ある企業や有志議員、医師の方々の温かい援助で資金調達が進む中で 10 月 19 日、鈴木工務所による建築工事は始まった。住宅公団の好意ある計らいで貸与された用地が、整地を必要としない平地であるため、工事の進行は早く、11 月 4 日には喜びの上棟式にこぎつけた。

 

赤茶けた秋枯れの芝生の上に、忽然と出現した青い屋根、明るいベージュ色の壁、美しい模様入りのガラスをふんだんに使った窓の多いスマートな建物。ささやかな上棟式に招かれた保育児童の父母代表や指導員たちは、ひとときは声もなくただずみ、そっと目頭をおさえる人もいた。子供達が程なくこの建物の中で保育されると思えば、みじめな”間借り”保育の現状を思い合わせて、涙も出るほどうれしかったに違いない。

 

続いて内装工事が始まり、並行して電気、水道工事も進んだ。3 つの出入り口と 10 面の窓のカーテンレールと付属器具を寄付した岡田委員は、寸暇をさいてみずから取り付けをした。床に敷きつめるジョニー・カーペットも問屋渡し価格で提供し、テープを使っての施工をみずから奉仕した。近く取り付ける間仕切りのアコーディオンカーテンも原価提供、無償取り付けの約束になっている。

 

門柱も立ち「横浜市委託・くでん学童保育所」の看板もついた。看板の文字は、運営委員会の会計を担当し、建設工事にも工事関係者の茶菓子の接待や上棟式の設営、落成式の準備責任者もつとめてきたJ委員の筆である。そして、11 月 16 日、待望の落成式─。

頭がさがる市、区役所の協力

「くでん学童保育所」のための「公田福祉会館」は、建設計画が立てられてから半年の曲折を経て、ここに完成をみた。その経過を顧みるとき、専用建物の建設という1つの目的に、みごとに結合し結集された運営委員と保育児童の父母、指導員の情熱、小泉純一郎代議士の好意ある斡旋、児童の福祉に理解を示した住宅公団と横浜市の協力、企業や地元関係者を含む多くの人びとの温かい

資金援助、施工業社の奉仕的協力など、そのどの1つが欠落しても、ゼロから出発した建設計画の達成は不可能だったろうことを、関係者全部が実感としてうけとめないわけにはゆかない。

 

わけても、特筆しなければならないのは、T建設委員長の存在と、横浜市関係者のあまりにも絶大な協力であろう。T建設委員長の果たした役割は、既に記したが、運営委員会が仮にもこの人を欠いていたなら、建設計画は結実をみなかった、といっても過言ではないはずである。事は人を得て成る─といわれる。その意味で、運営委員会は、まさに人を得た、といい得よう。

 

横浜市関係者の積極的な協力は、住宅公団との用地貸与をめぐる折衝の段階から開始されたが、建設計画の進行について、なおも間断なく継続されている。それは、単に行政指導や助言が適切に行なわれたということではない。

 

市民局青少年部企画課長

同課地域協力係長

戸塚区役所市民課長

同課社会教育係長

同課地域振興係長

同課社会教育係員

 

の各氏は「くでん学童保育所」のための「公田福祉会館」の建設にとって、ある時は強力な牽引車であり、またある時は、ぐいぐいとうしろから押し進める、あの列車の力強い後部機関車的存在でもあった。

 

建設計画の第 1 の難関だった住宅公団用地の無償貸与は、実質的には、庁内関係部局の同意を取りつけて、住宅公団との直接交渉にも当たった各課長をはじめ、事務的折衝と処理を敏速に進めた各係長、係員の熱意と努力によって実現したのである。

 

また、市の地域集会施設整備補助金 50 万円の交付についても役所からの好意ある助言と、取り計らいに負うところが多い。

 

それらは、いうならば各氏の職務であるかも知れない。しかし、職務上の義務感だけで処理されていたならば、今日の結実をみなかっただろうことは、疑う余地がない。「くでん学童保育所」の実質的運営をまかされていた運営委員の委託費不正支出という背信行為に端を発して”間借り運営”の苦境に陥った実情に対する同情もあったろう。それにもまして、これらの諸氏の児童福祉と地域振興に対する熱意と善意を感じないわけにはゆかない。

 

とりわけ戸塚区役所市民課社会教育係長に対しては、深甚な敬意と感謝を禁ずることができない。おそらくご本人は、多くを記すことを望まないだろうが、運営委員会と市とのパイプ役の立場に置かれた係長は住宅公団との用地賃借契約、建築確認申請、上水道の工事・使用許可などの繁雑な処理についても、単に指導、助言するだけではなく、関係機関との連絡から、時としては使い走

りに類することまで、進んでやっていだたいた。

 

失礼な表現を借りれば、これらの方々は、役人ばなれした役人、ということになろうか。「くでん学童保育所」は、今後もなお、これらの諸氏をわずらわすことが多いはずである。ただし、いたずらに好意に甘えるのではなく、節度をもって善意に頼る姿勢を忘れてはなるまい。

保育時間外は地域の集会等に

「くでん学童保育所」は新しい専用所屋を持って、新生のスタートをきった。他には、もっともっとすばらしい専用所屋をもつ学童保育所があるかも知れない。しかし、児童福祉の高い理念をもつ多くの人々の善意を結集して完成した専用所屋を保有する、という意味では「くでん学童保育所」にまさるものはないに違いない。

 

10 月 6 日開いた運営委員会は、保育時間外は、所屋を地域の集会や催しなどに開放することを正式に決定した。結集された多くの人びとの善意と援助に応える意味もあるが、地域の人びとに、学童保育に対する理解と協力を求めるとともに、地域居住者の融和の一助にもなろうという願いからでもある。積極的な利用が望まれる。

 

最後にもう一度、善意の援助を寄せられた多くの皆さんに心から感謝をささげ、建設計画の遂行に尽力された運営委員と保育児童の父母の皆さんに深甚の敬意を表したい。

感謝に涙もこぼれて

父母会長 S

 

青い屋根にベージュの壁、内装もきれいに仕上がった新築の「くでん学童保育所」を見たとき、私は涙がこぼれるほどうれしく、この保育所新築に、さまざまな形で寄せられた多くの方々の善意に対する感謝で、胸がいっぱいになるのを覚えました。

 

おそらく「くでん学童保育所」に子供をお願いしているほかの父母達も、みんなが私と同じであるに違いありません。市役所や区役所の方、快く資金を援助してくださった方、利益を度外視して工事をしてくださった方、そのおひとりおひとりに、心からお礼を申し上げるばかりですが、公田団地外に住んでいる父母の 1 人の私は、住宅公団と公田団地の皆さんに、とくに感謝しないわけにはまいりません。「くでん学童保育所」は、公田団地の子供だけを対象にする施設ではないのに、建設用地を提供してくださった住宅公団、そして建設計画を立て、実行の中心になってくださった運営委員長と建設委員長も、公田団地の民生・児童委員であることを忘れることはできないからです。

 

働いているために、工事をしてくださる方達に、お茶ひとつ差し上げることさえできなかった私達。それを、お忙しい両委員長の奥様と、運営委員のJさん、指導員のAさんが、1 日も欠かさずに続けてくださいました。ただただ頭が下がるばかりです。

公田団地の皆さん、そして有形無形のご協力、ご援助をお寄せくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

 

(終わり)